4月のHEAVY ROTATION
アーティスト名 うめきち
Umekichi
俗曲師としてはうめ吉
曲名 家においでよ
-COME ON A MY HOUSE-

<PROFILE>
 岡山県倉敷生まれ。代々教育者の家系であり、キリスト教という家庭環境に育ち、幼少よりピアノとクラシックバレエを学ぶ。
 高校卒業後、看護学校を中退。OLをしながら密かに花柳界に憧れ、上京を考える。
 上京。1989年(平成元年)山田流お琴を始めるが、1990年(平成2年)「東おどり」を観て三味線への転向を決意。杵屋作美恵に長唄を師事。長唄への道を勧められるが、国立劇場の寄席囃子研修の試験を受けに行く。しかし、三味線の経験不足であることと、対称が40歳くらいであるという理由で初めは断られる。が、熱意を認められてやっとのことで入試を許可され、見事合格。
 1991年(平成3年)寄席囃子研修の第8期生として、奨学金を受けながら2年間研修を受ける。研修期間中は、寄席囃子をはじめ、長唄を杵屋喜三郎、杵屋勘五郎(現 寒玉)、今藤文子、今藤長十郎、今藤政太郎、今藤美知らに手ほどきを受ける。その他、清元を清元美治郎、端唄を根岸登喜子、鳴物を望月初寿美に学ぶ。
 1993年(平成5年)2年間の研修を終え、社団法人落語芸術協会(会長/当時:桂 米丸、現在:桂 歌丸)に入会。最年少のお囃子として活動を開始する。新宿末広亭などの定席のほか、真打の独演会から若手の勉強会などばかりでなく、文化庁主催の移動芸術祭などにも参加。
 お囃子として活動するかたわら、端唄を同協会の桧山さくら(端唄協会理事、元キングレコード専属歌手・元 藤本秀丈派)に師事。日本舞踊を藤間勘右衛門派・藤間千早に、長唄を稀音家一志郎に師事するなど意欲的に古典を学び続ける。
 1998年(平成10年)1月桧山さくらに俗曲師の道を勧められるが、桧山さくらが病に倒れたため、一時は残念する。1999年(平成11年)2月、あらためて桧山さくらの勧めと落語芸術協会の支持のもと、また桧山さくらが療養中のため春風亭小柳枝一門預かりのもと、俗曲師゛桧山うめ吉″として再出発する。
 陰の立場であったお囃子から色物へ転身するにあたり、区切りをつけるために1年間は寄席の楽屋にて落語家の前座にて落語家の前座修行も経験。
 2000年(平成12年)に色物としてデビューした直後より新宿末広亭をはじめ、寄席の定席にて早くも「ひざがわり」(トリの直前)の色物として扱われるなど久々の若手俗曲師の出現として各方面より注目を集める。
 その後、年間500本を越える舞台をこなしながら、長唄を稀音家一志郎、踊りを林元之、端唄を桧山さくら、小唄を千紫千恵に師事。 寄席の高座の他にも、お座敷から自己のグループ「おてもと社中」を率いて各イベント出演、そしてインディーズから2枚のCDリリースと積極的な活動を行う。
 2003年(平成15年)8月 現在のプロデューサーである新田一郎(元スペクトラム)の目に止まり、俗曲師としては「うめ吉」、エンタテイナーとしては「Umekichi」としての活動を勧められる。
 2004年(平成16年)2月 世界において類に稀なアーティストとして、稲妻オーケストラ&腰元ダンサーズを率いてUmekichi、遂にデビュー!!
<趣味>
時代劇映画鑑賞。黒沢明監督のものや戦前の無声映画。ことに大河内伝次郎の大ファン。
中道風迅洞氏に「どどいつ」の手ほどきを受けるなど、現代どどいつを趣味としている。
<目指す音楽>
現代人が忘れかけている邦楽、ことに江戸から明治・大正・昭和初期における三味線を中心としたお座敷文化から派生した流行歌。また、戦後の戦後の流行歌及び戦後の音楽教育からはじき出された邦楽の中でも庶民性の強い端唄・俗曲。これらの、ゆたかな魅力ある音楽で今の日本人がすっかり失ってしまった大切な゛なごみ″を蘇らせたい。